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石井秀樹さん ( いしい ひでき ) さん。(会員No.38)
1971年 エイプリルフールに 山口県は ホタルで有名な 豊田生まれ。
福岡市中央区西中洲、Raisin d’Or ( レザンドール ) オーナー シニアソムリエ。
( 写真 向かって 右端。スタッフさんの仲の良さが うかがえますね♪)

2007年 ご開業の グランメゾン、レザンドールは ミシュランガイドの星に 輝いています。
遡って。最初の お勤め先 ホテル日航福岡での 13年間の勤務中には 28歳の若さで シニアソムリエとなられ、赤坂の ラ・ターブル ドゥ プロヴァンスでも その腕を奮われ、ワインスクール アカデミー デュ ヴァン福岡校の 講師をなさった ご経験もあり、2014年現在 ソムリエ協会 北九州支部 副支部長も お務めで、田辺由美ワインスクールの講師もなさる、など など など………。 切りが無いほど “ワイン一色” の 日々を お過ごしの 石井さん。
どんな “これまで” を お過ごしだったのか。 気になりますよね。

理髪店の次男として お生まれになった石井さん。中学生の頃から “中学を卒業したら すぐにでも就職!親元から独立したい!” と 思ってらっしゃったそうです。
今の石井さんのイメージと 想像つかないと思うのですが、なんと。”へビーメタル” が 大好きで、激しくギターを 弾いてらっしゃったり。

お父様の ご説得によって 高校を ご卒業なさいましたが、すぐに 就職の道を お選びになり、ご家業の影響でしょうか、漠然と 進路は「 サービス業 」以外 考えられなかったそうです。
時は ちょうど ホテル日航福岡の新規オープン。「 早く 大人になりたかった少年 」は 158名の 新人採用者のなかの ひとり、として 1989年 福岡へ。まだ “飲食” さえ 意識していませんでした。ベルボーイから フロントへ…..という 未来の想像図は 新人合宿研修会場行きの バスの中で 挫かれ、石井少年に 命じられたのは「 カフェ レストラン・セリーナ 」でのサービス係。

セリーナは 当時、営業時間は朝食の7時から 閉店の24時まで。同時に 24時間体制での ルームサービスも。そういうハードな職場で 卵から孵った雛が 第一歩の期間を 過ごしました。
ワインのワの字も この頃の 石井少年には ありませんでしたが、ホテル滞在中の 有名歌手さんが 女性おふたりで さらりと1本 シャブリを飲む様子や、憧れのミュージシャンの お部屋に ワインを届ける度、格好いい人たちは みんな ワインを飲むのだなぁ…、と 思っていたそうです。

では ご本人は どんなアルコールが お好きだったのか。大好きな ヘビーメタルバンドの人たちが 瓶ごと 握りしめていたのは バーボン! ジャックダニエルや、フォアローゼスの薔薇の赤と黒のコントラストに 魅せられて。飲み方は 映画 インディージョーンズで 大男と女性が ショットグラスで こんこんと 飲み比べをするシーンに憧れて、同じくショットで、と ハードですねー。

そんなある日。先輩サービスマンの呼び出しに ドキドキしながら 向かうと、白ワイン・シャルドネの試飲で、先輩の質問は「 コレ、甘口と辛口 どっちと思うやー?」
樽由来のバニラの香りから 甘口です!と 答えたところ 辛口。ワインて 面白いんだな、と思う きっかけになったそうです。

その後 鉄板焼 銀杏へ 配属が変わり、勤務時間が 大幅に短くなりました。
前職場の同僚たちは まだ勤務中なのに 自分は 時間が余っているという 葛藤の中、銀杏で 自分がワインの説明をする係になりたい、という目標や、いつかは 自分も 焼き手になりたい、という 夢も生まれ、空いた時間を勉強に回されたそうです。
当時 ワインの勉強の資料や 本は無く、身近に先生もいない。インターネットも然り。厳しい環境の中 お店のワインリストを 全て コピーして、世界の銘酒辞典と 首っ引き。
休日は 「 中洲の高級お肉屋さん 」と「 スーパー マルキョウ 」で 価格差のある お肉を買い、分けてもらった ホテル オリジナルのタレを用いて 自宅で 焼く練習と、合わせて お客様の気持ちを知るため 当時の石井少年には かなり高価でしたが ’87 Les Fiefs de Lagrange ( レ フィエフ ド ラグランジュ ) を 買ってきたり。
甘口、ドイツの白ワインが好きだった少年には ラグランジュのセカンドは 渋すぎて 飲めず、お客さん こんなの飲んでんだー、と 驚いたそうです。

お肉を焼く練習もしたのに、どうして シェフじゃなく ソムリエになられたんですか? と 質問すると 『 調理をすると サービスができないから 』 だそうで。17歳の進路の選択から サービス業、本当に お好きなんですね。

この頃には ワインも好きになって、フロント業務ではなく、メインダイニングの レ・セレブリテでの勤務が 夢になっていた 石井さん。お勉強の甲斐あって 21歳にして そちらに配属されることに。そして 福岡最年少ソムリエの誕生です。その後も 最速で シニアソムリエにもなられました。
取材中 レ・セレブリテでの お話は みなさまも是非 石井さん ご本人に聞きに行っていただきたい 逸話が盛り沢山!え? どんなですかって?? うーん。書いていいのかなぁ? ミーハーな執筆者は あの “スティング” に ’86 クロ ド タール の お話なんて、興奮しちゃいましたよ。
それから 石井さんが シニアソムリエの東京試験の前日、しこたま 呑んでいたこと とか。。。。

“10年後の自分のビジョンを常に意識しなさい” …とは。 よく屋台に 連れて行ってくれた 先輩に ふたりで ビール1ケース たいらげながら いつも言われていたそうで、この頃から 漠然と 独立を意識されたそうです。 そして ホテルで働かせてもらい “ホテル”を 見ながら 将来 自分の “個人店”だったら こうするなぁ…… と考えられる、「 両方 」が 良かったと おっしゃってました。

個人店、を知るために ホテルを お辞めになり、次なるステージは 赤坂の ラ・ターブル ドゥ プロヴァンス。こちらのセラーを見て ビックリ。錚々たるワインも ズラリ、石井さんの知らないドメーヌのものも 沢山、で 興奮したそうです。
シェフも ゲストも お料理も、個人店ならではの 他の飲食店さんとの横の繋がりの強さも、賄いの美味しさも。ホテルとは 違うことだらけで ほんとうに 面白かったそうです。

そして 2007年 西中洲に レザンドール ( 黄金の葡萄 ) ご開業。
ご自身の お店は 「 ウェイティングのスペース、ダイニングスペース、と 空間を変えて 楽しめる店で サービス料をいただく価値のある サービスをしたい 」と お考えだったそうで、なるほど。ホテルと個人店の いいところが 融合された 石井さんならではの 福岡のグランメゾンですね。

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ほんとうに 書き足りないことだらけなんですが 石井秀樹さん 前編、は ここまでに。
タイヤ会社さんの お墨付きとなられた 大人の空間へ 是非 みなさま お運びになって、美味しい お食事の後には カウンターのスペースで じっくりと。直に 石井さんと お話しなさってみてください。
あー。執筆者も 久しぶりに お食事に 伺いたいなぁ。

レザン・ドール
福岡市中央区西中洲2-25 STAGE1 西中洲1階(奥)
TEL:092-724-6500
Restaurant 17:30~23:00 Wine Bar 17:30~25:00
店休日:通常 日曜日
http://www.raisindor.jp/