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山下啓之さん Hiroyuki Yamashita
1977年 鹿児島生まれ。福岡市中央区春吉、山下ワイン食道 オーナーソムリエ。

美容師になりたい!だって 美容師って 女のコに モテるんでごわす!と 美容専門学校に進学するため 18歳で 福岡へやって来た少年 は、アルバイトで 飲食業に入り。ハサミを握って お金を頂くことは 1日も無いまま、今日に至る。

中華料理店、焼肉店、居酒屋、魚市場も少々。そして バー。
当時のバー業界は うんと華やかで、憧れの 恰好いい諸先輩方の下、諸先輩方のようになりたい!の 一心で 修行させていただく。どうにもこうにも 格好いいバーテンダーに なりたかった。
師、と仰ぐのは 現在中洲に居を移された【 BAR DURAND 中原 英司さん 】

早く一人前のバーテンダーになりたい 山下少年。
休日は 少ない お給料から コンビニのおにぎりで お腹を膨らませ、今日は ギムレットで 何軒!今日は ジントニックで 何軒!と バー巡り。
焼酎、日本酒、ビール、カクテル…… 飲まれる程 アルコールを飲むも、ワインだけは 頭が痛くなるので 苦手だった。
そんな 或る日。1杯の “自然派ワイン” というものに 揺さぶられる。

『 自分は カクテルを作るにあたって 様々な材料を混ぜても 苦心しているのに、このワインは “材料が葡萄だけ” で どうしてこんなにも 複雑で華やかな 素晴らしい香りがするのだろう。』

早速 ワイナリーへ 働きに行こう!とする 直情型。
初めての海外生活。渡航先は 大親友を頼って、当時 彼が住んでいた “オーストラリア”と 決める。
拙い英語で 必死に 豪州のワイナリーにメッセージを送ると いつでもおいで、という返事が。うわーい!
……しかし。 その おいで、というのは ワイナリーの見学、遊びに、の意味であり。
豪州に着いたものの 住むところも 職もなく、日本に帰ろうにも 帰ることさえ出来ず、英語も分からず。川のほとりで 泣いたそうだ。
道端に落ちていたパンを食べた経験は 少年を 少し強くしたのではないだろうか。

僕は魚が捌けます!と 過去の居酒屋勤務の経歴を誇張して 板場の職を得てみたり。
観光客に乗馬サービスも提供する牧場に 住み込みで 働かせてもらい、はだか馬で 川を渡れるほど 乗馬が得意になったり。
せっかくシドニーにいるのに 観光も一切 しない 出来ない まま、とにかく働いて 働いて……。
オペラハウスは見ただけ、ハーバーブリッジも登らず、コアラって 何ですか? の 豪州生活が 半年になろうとしていた時。

【とどろき酒店 轟木 渡さん】が フランスへ 研修旅行へ行く との事を知り、コート・デュ・ローヌで ワインを造っていらっしゃる【 La Grand Colline 大岡 弘武さん 】へ『 何でもしますので 働かせてください!』と メッセージを お願いする。

国際電話をかけると。大岡さん 曰く、
” キミは ワイン造りが見たいんだよね? そこで 何をしているの?”
(( ごもっともです。気づけば おいどん、馬に 乗っていました!))
” 興味があると言っている 自然派ワインのことを キミは 分かっていますか?”
(( ほとんど、いえ… その…… 何も、分かりません!))
” それが見たいのなら、どうして 豪州にいるの?”
……なんと。 大岡さんの下で お手伝いさせていただけることに。
フランスへ~♪
2005年、2006年、と 醸造の期間に 現場で働かせていただきました。

ワイナリーへやって来た 山下少年を 初めて見た時、大岡さんは ” このコ、大丈夫かなー?” と かなり心配になったそうです。
豪州での生活で 紫外線に灼けた明るい色の髪を 切る余裕もなく、ちゃらちゃら、不良に見える上に 痩せ細っていたんですから。
2006年のワイナリーでの様子は《コチラ》から 見られます。

そして 大岡さんの元より帰国後。
2007年2月、バーテンダー に なりたかった少年、は ワイナリーでの思いを胸に 当時は珍しかった 自然派ワイン専門の店を開業。ソムリエ と なりました。

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さぁ、ここから。どう 繋がって行くでしょうか?
山下ワイン食道、しょくどうの どう は 道 です。

文・写真 辻本美和

山下ワイン食道
住所 福岡市中央区春吉2-6-15 八番館201
TEL&FAX 092-761-8717
Mail info@yama-wine.com
営業時間 18:00~翌1:00頃(23:30~はバータイム)
定休日 不定休
駐車場 なし
カード 可
http://yama-wine.com/

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